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ロボットに関する資料
たまには、僕の論文の話でも。

僕の博士論文の最初の章は、科学技術の分野におけるロボット研究と社会的ロボット観がどのように影響し合いながら互いに発展してきたのかという歴史的変遷に焦点を当てたものになります。

昨日、改めて、国会図書館のサイトで「ロボット」をタイトルに検索を行ってみると、和図書、博士論文、電子図書、映像で、合わせて、3000件くらいヒットしました。ただ、これはあくまでも、タイトルに「ロボット」という言葉が関わってくる文献に限られます。タイトルに関わらず、実際にロボットを扱っているものがどれだけあるのかということになると、まあ、僕のように資料整理するものにとっては「嬉しくもあり、いやにもなるほど」の量であることは確実でしょう。

とりあず、プリントアウトして全部チェックしようと試みると、残り五分の一あたりで、トナー切れで印刷が中断してしまいました。既に片面で100ページ以上もあります。レーザープリンタのトナーの値段は1サーボ近くするのかな・・・

ロボット関連の資料とはいっても、工学系のものもあれば、哲学・社会思想系のもの、さらにはSFなどの大衆文化に含まれるものもあります。工学系の論文や書籍は、タイトルだけでは細かい内容はよく分からないので、今のところは、どういった系統の研究かといったくらいで納めるのが限界です(とはいっても、自分でロボットを始める前は、それすらも出来なかったと思います)。

また、SFや社会思想の分野でロボットがどのように描写されているかということは、前述した社会における「ロボット観」と密接に関わってきます(僕の本職はこちら側です)。過去の新聞記事や雑誌の記事まで洗いなおすと、資料の数はさらにトンでもないことに・・・

さて、検索したリストを眺めてみると、1975年以前は、そのほとんどが、子供向け童話やSFものばかりです。まれに、哲学的な視点からロボットを論じたものも出ています。そして、1975年あたりから、徐々に産業用ロボットに関する報告書めいたものが出版され、1985年前後にその数は一気に増加しています。1985年というと、つくば科学博の年ですね。

ジャーナリストや批評家、さらにロボット研究者によるロボット社会論が増えるのも、1980年中盤からです。社会のロボット化と日本の未来について非常に楽観的に語っているものと、批判的なものとの二つの系列に大別できますが、ざっと見る限りでは、80年代は批判的なもののほうがより多く目に付くかな。その多くの論調が、産業ロボットの加速度的な普及による労働のシステム化が、働く人たちの生きがいを奪っているのではないかといったものです。

90年代後半からは、工学系、人文・社会系の両領域において、ヒューマノイド関連の本の出版が一気に増加していますが、面白いことに、批判的論調でヒューマノイドについて語っている社会系の本はあまりないようです。もちろん、ヒューマノイドと産業用ロボットとでは、期待される用途の違いもありますし、ヒューマノイド技術そのものがまだ十分な実用化に至っていないため、それほど現実に即した議論が出てきていないだけなのかも知れません。

しかし、その一方で、産業用ロボットに関して言えば、その本格的な普及以前から、労働環境の機械化というテーマで議論が交わされてきた歴史的経緯があるので、ヒューマノイドの場合は、産業用ロボットとはまた別の文脈で分析する必要があると思われます。特に、大衆文化・消費文化との絡みは重要です。

しかし、これ全部をもう一度洗いなおすとなると、いったいどれくらいの時間がかかることやら・・・(なんだか、取り留めのない話になってしまいましたが、またそのうち本格的にこの続きを書いてみたいと思います)。
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2006-11-23 12:16 | ロボット論・学問 | Comment(2) | Trackback(0)
Comment
つくば万博の時にロボットに対する期待が一気に大きくなったようです。たまたまその直後あたりに書かれた本を読み返すことがあったのですが、「数年後には会社の受付嬢をロボットがやっているかもしれない」と書いてありました。(もちろん、現実はそうはならなかったのですが。)
後の世から見ると、愛知万博はロボットの実用化という点で一つの転機になったイベントだと認識されるかもしれません。私が愛知万博以前と以後で明らかに違ってきたなと感じたのは、製作者の安全意識でした。愛知万博より前は、人と接することを目的とするロボットであっても、金属製の角張った部分とか平気で残してましたしねえ。
今はキャナルシティでALSOKのガードロボが運用されてますが、やはり洗練されてます。これも愛知万博を乗り切った経験が反映されているんでしょう。やはりアフロは偉大でした。(←なにかが違うぞ)
大林憲司 2006/11/23(木) 17:03:47) 編集

>大林さん

[私が愛知万博以前と以後で明らかに違ってきたなと感じたのは、製作者の安全意識でした。]

というのは、面白い指摘ですね。愛知万博に関しては、批判的なスタンスで書かれたものが多いです。会場を切り開くための森林伐採問題もそうですし、あからさまな国家のイデオロギー装置であると言った言論もよく見受けられます。欧米での万博文化は20世紀前半にピークを迎えるわけですから。

国家イベントですし、そこにはやはり何らかの政治的意図があるのは確かなのですが、何よりも、愛知万博そのものがロボットの実験の場となったことは、大林さんの言うように、後の世で何らかの転機と数えられてもおかしくないのかもしれませんね。

ただ、ロボットによる警備はいいとしても、チャイルドケアまでロボットに任せるというアイディアはいかがなものかと・・・

あとは、少なくとも、アトムが出来るのはまだまだですよ、という現実も一般の人にわかってもらえたと思います(笑)。
かつの 2006/11/23(木) 23:25:50) 編集

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