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RoboCupとROBO-ONE(その3:人がロボットに負ける日)
前回の続きです。話の流れが飛び火気味というか、結構大きなテーマになりつつあるので、もうこのタイトルで続けるのもどうかと思うんですが、いちおう続きなんで・・・

「2050年までにロボット(人間型)のサッカーチームでワールドカップの優勝チームに勝利する」、このロボカップのスローガンを初めて目にしたとき、多くの人が先ず考えるのはそのような技術の実現の可能性についてではないでしょうか。専門家、非専門家を含めて色々な意見があるでしょうが、北野さんが指摘されていたように、飛行機にしろロケットにしろ、人類はこれらのテクノロジーの開発を約50年スパンで達成してきているので、ロボカップの目標も挑戦してみないことにはわかりませんし、その達成の可能性に関しても僕は何ら否定的になる必要があるとは思っていません。

ただちょっと見方を変えると、これはじつはとんでもないことをやろうとしているんじゃないか、と思えてもきます。人によく似た姿をした自律型のロボットをサッカーという同じ土俵で人間と戦わせて(しかも人間界最高のプレイヤーで構成されたチームに)勝たせてみようという、その試みが現実となって引き起こされたとき、人間側はその敗戦をどのように受け入れるのでしょうか。おそらく、我々のロボットに対する見方は決定的に変わるでしょうね。これはチェスの試合で人間のチャンピオンがコンピュータに負けるという類のものとは本質的な部分でまったく意味が異なります。チェスという、その競技の性格上コンピュータの得意分野である計算能力を十分に生かすことの出来る、非常に閉じられた条件設定においての敗北は、人間の知性そのものの敗北を代弁するまでには至りません。

しかし、サッカーでの敗北は肉体的な敗北なのです。肉体的敗北は記号的敗北でもあり、精神的降伏を要求し、その結果支配されることへの恐れに繋がってくる。ロボットの人間に対する反抗はSFにおけるひとつのモチーフとして繰り返し用いられてきた図式ですが、サッカーでの敗北は、幻想の世界におけるこのような観念的な恐れを現実社会での感覚的な恐怖へと転化させるのではないでしょうか。

実はこのロボカップのスローガンは、「人間型ロボットを作る上での最終目標とは何か」という、すべてのロボビルダーが意識的にしろ無意識的にしろ関わっている問題に正面から取り組むものであるという見方もできるような気がします。この命題は、「鉄腕アトムは実現可能なのか」、「ロボットは最終的に人間になれるのか」、「ロボットは心を持つことができるのか」といった形で繰り返し問われていますが、この際の受け答えでよく見られるものが「人間型のロボットを作るということは、人間そのものを理解するためのアプローチに過ぎない」といったものであったり、「人間型ロボットの開発は一種の基礎研究で、そこから色々と実用的な技術が産み出される」であったりします。また、より具体的に「人間の生活環境にロボットを導入する上で、モビリティとしての二足歩行を開発することは極めて有用である」という答えもありますね。

ただ、そこにどのような動機があっても、「人間型」を謳う限りこれらの研究に終止符が打たれるときはくるのか?というのが僕が常日頃考え続けているテーマです(「研究資金がなくなったら」なんていうのはここではなしです[笑])。もちろん「人間型」とはいっても、単に人間の身体的な動きの再現をめざしているのか、さらには意識や心の開発までもを目論んでいるのかという違いもありますし、そこには様々なアプローチが複雑に絡み合ったり、短期的・長期的計画があったりと、すべての人間型ロボット研究をひとくくりにはできないのですが(無線操縦と自律の違いもありますが、この話は次回に)、それでもやはりこれは本質的には終わりなき研究なのです。

僕自身、人型のホビーロボットを作っていて、一応人間らしい動きをさせるというところに方向性を定めているのですが、仮にこの趣味が自作ロボットでRobo-One大会に出場できるまで続いたとして(十年単位の年月が必要かもしれませんが)、最終的に僕はどこに行き着こうとしているのか、僕自身ですらそれを悟る日がくることはないでしょう。ただ、「人間型」という想像の産物にとり付かれてしまっているのは確かで、どうあがいたってロボットが人間になれない以上、製作者の抱くこの欲望は永遠に続くわけです。何だか、近づこうと努力すればするほどどんどん離れていってしまう、まるで蜃気楼に翻弄される砂漠の放浪者のようですが、ただむなしいことに、砂漠の旅人と違って人間型ロボット開発者が本物のオアシスに行き着くことはないのです。

しかし、もし2050年までに、人間型のロボットがサッカーで人間を負かしたらどうなるのか。そのとき我々は「人間型」という呪縛から解き放たれることになるのでしょうか。

この続きは次回以降に(果たして答えはでるのか?自分でも全く予測がつかず・・・)。
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2006-08-10 08:05 | ロボット論・学問 | Comment(3) | Trackback(0)
Comment
すごいっすねー!もはや論文・・・!!
さすが守護神(笑)
ひきま 2006/08/11(金) 12:42:01) 編集

ひきまさん

どーも。しばらくサッカー大会はないので、守護神からは遠ざかることになりそうです。

論文チックになると、ひとりよがりな文になりがちだし、なにより誰も読んでくれないだろうから、なるべくそうならないようにしているのですが、今読み返してみると硬い表現がたくさんある事に気づいて、もっと気楽に書こうと思っとります。

そんなことより次回は後楽園ホールですね。ロボットはプロレス風の衣装になるのでしょうか(笑)。
かつの 2006/08/11(金) 20:29:27) 編集

論文メモみたいでおもしろいですよ。
そうなんですよ、夢の後楽園ですよ!
もちろん、プロレス風でいきます!アントニオ熊木です。
プロレスオタク全開でみんなドン引きでもお構いなしです。
ひきま 2006/08/13(日) 00:54:10) 編集

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