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RoboCupとROBO-ONE (その2:ヒューマノイドであるがゆえに)
さて、だいぶん間が空いてしまいましたが、前々回の続きです(もはや続きにすらなっていないけど、とりあえず実体験のぬくもりが完全に冷めてしまう前に、自分の思考の過程のようなものを残しておかなくては、ということで思いつくままに文章化してみただけという・・・)。

おそらく、無線化を提言する最も直接的な理由は、ヒューマノイドリーグの技術的進歩のスピードが他のリーグと比べて圧倒的に遅いというところにあるのでしょう。小型・中型リーグの試合レベルが年々目に見えて上がっているのに対し(小型リーグでのボールの動きなど目で追うのが大変なくらいです)、現時点でのヒューマノイドリーグのレベルは、まだ動きそのものにもどかしさを感じるといった内容に留まっており、なかなか試合が成立するまでの域に達していません。

また、参加チーム数が他のリーグと比べると圧倒的に少ないということも含めて、無線操縦にするとこれらの問題が解決されるのではないかという目論見があるのだと思います。また、実際にそうなると、Robo-One組からの流入が大いに考えられるし、研究色の濃かったロボカップが個人へとその門戸を広げることになるわけです(そうなったら九州練習会からもチームを作って出場したいなあ)。

また現実問題として、ロボカップを競技として存続させていくためにはスポンサーの協力が必須なわけで、それにはロボカップが何を目指しているのかということを一般向けにも分かり易く示していく必要があります。「おー、あの制御システムは素晴らしいなあ」と、研究者同士で技術的な部分を賞賛し合あうだけでなく、もっと一般レベルでロボット技術の進化をアピールする必要があるわけで、手っ取り早い方法としてはやはり見世物的な要素も戦略的に演出しないといけないということになるのでしょうね。

この点に関しては、観客が感情移入し易いヒューマノイドリーグがロボカップ隆盛の鍵を握っているといえるのではないでしょうか。もう二週間近くも前のことになってしまいましたが、ロボスクエアでのサッカー大会があれほど盛り上がった大きな理由は、サッカーという競技の分かりやすさとは別に、やはりロボットが人間型であったということは重要なファクターだと思います。

では、なぜ人間型だと感情移入しやすくなるのか?色々な説が出てきそうですね。例えば、認知心理学・認知言語学には「親近感のないものや理解するのが難しい抽象的なものを、身近なよく知っているものを通して理解する」メタファーの作用が人間の知覚の根幹を成しているという見方をする一派があります。コンピュータやインターネットに関連する単語群を例に挙げると、ほとんどの一般ユーザーがコンピュータのシステムそのものを技術的視点から理解する知識を持ち合わせていないにもかかわらず、メモリー、ライブラリ、サーフィンなど、身近な言葉をフィルターとして使うことで、新しく登場したテクノロジーの世界が親近感のある風景へと様変わりするわけです。コンピュータの場合、アイコンも視覚的メタファーの一種だといえるでしょう。よく出来たアイコンはソフトの使い勝手を向上します。

擬人化、すなわち人でないものを人に擬して表す行為もこのメタファーの一種ですが、この場合理解の対象が人間を模したものになるわけですから、我々はその対象を自らの身体感覚という最も身近で現実的なフィルターを通して理解することが可能になり、その結果、想像力の幅は限りなく広がることになります。

私は、人が人間型ロボットに惹かれ、また怖れるといった感情のメカニズムを説明するには、この擬人化という知覚行動を徹底的に検証する必要があると考えています(さらに言えば、森政弘先生の提唱する「不気味の谷」の概念も、擬人化の理論でうまく体系的に再解釈できるはずです。また、最近はデザインの分野で擬人化の手法は非常に重要な研究対象となっていますし、ロボットデザインもその例外ではありません。ただ、この話は非常に込み入ってくるので今回はこれ以上は控えます)。

これがロボカップの中型リーグの車輪つきのロボットとなると、一般の観客にはその技術的なすごさを理解しようにも理解するためのフィルターとなるモデルがないため、「よくわかんないけど、まあすごいんじゃないの?」といった曖昧な感覚だけが残るのではないでしょうか。この点で、「犬型」ロボットであるAIBOリーグの人気が高いのは頷けるところです。犬をモチーフにしたAIBOの姿が効果的なインターフェースとして観る側の想像力の広がりを手助けしてくれるからです。

人とロボットの関係性を考える上では、ロボットの知能と同様に見かけも非常に重要な要素になってくるのです(「それが分かっているなら君のロボットも早くKHR-1の素組みから脱皮させてあげたほうがいいよ」という声が聞こえてきそうです[笑]。分かってます。虎視眈々と計画中です[笑])。ヒューマノイド研究というとモビリティの部分、すなわち二足歩行に注目が集まりがちですが、インターフェース研究としてのヒューマノイドという方向性がもっと出てきても面白いのではないでしょうか(大阪大学の石黒研究室がこの路線の有名どころですね)。特に、日本はキャラクター大国ですし、様々な研究領域を横断した面白いプロジェクトを組むことが可能だと思います。

さて、サッカーに話題を戻しましょう。ロボスクエアにいると、二足歩行ロボットを見るのが初めてであろうと思われるお客さんにしばしば出くわします。先日のサッカー大会においても、「おー、ロボットが歩いている。えっ、すごい! 倒れても立ち上がってる!」といった反応がよく見受けられました。私も初めてロボットが二足で歩いているところを見たときには、声にならない驚きに包まれました。たんなる驚きというより、なんだか常識ではありえないものを見たときの興奮と驚きが入り混じったような感覚と言ったほうが正解でしょうか。そんな観客の皆さんもしばらくすると徐々にロボットの動きに慣れ始め、ロボットの一挙一動からサッカーの試合そのものに熱中し始めます。ロボットが走り、ボールをシュートし、それをキーパーが横っ飛びをして止める、このようなプレーを目の当たりにし、そのたびに歓声が上がります。

操縦者側には自分なりのカッコいいポーズを観客の人に見せつけたいという欲求があるわけですが、その欲求が高まれば高まるほど、絶好のチャンスで焦って操作ミスを起こしシュートを空振りしたりズッコケたりしたりしてしまう破目に陥ります。一方で人間らしい動きを見せながら、その延長で人間さながらのドジな姿も見せてしまう。しかも、この滑稽な姿がショーなどでの仕組まれた笑いを誘うための餌ではなく、何が起こるかわからない本番の試合の中で起こる珍プレーなために、観客のほうも不意をつかれ、ドッと笑いが起こる。いずれにしても、人間のような姿をしているけれども人間ではないという、ヒューマノイドロボットの曖昧な存在性がなせる滑稽さなのでしょう(猿芸なんかと比較研究すると面白いかも)。

では、これが自律型のヒューマノイドロボット同士の対戦だったら同じような反応を引き起こすことになるのか?この問いに対する答えは今のところはっきりとはしませんが、少なくとも無線操縦によるサッカーには「ロボットの動きに人間くささがある」と九州練習会メンバーの水井さんが面白い表現をされていました。おそらく、その人間くささとは「遊び」の部分であり、操縦者の自我が機械の動きを通して具現化された結果であり、少なくともコンピュータによる「計算」からは導き出されない動きなのだと思います。

この点において、もしかしたら完全自律のロボカップサッカーはそれほど笑いに包まれるものにはならないのかもしれません。ただ、高性能のセンサーの導入などでRobo-Oneの機体でも自律の比重が徐々に高くなってきている現状をみると、今後自律と操縦の部分がうまく融合することでエンターテインメント性を保ちつつもよりハイレベルな内容を展開する競技に発展していく可能性は十分にあると思います。

さて、結構な時間を使ってだらだらと書いてしまいましたが、次回以降もこのノリがまだまだ続きます。
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2006-08-07 17:55 | ロボット論・学問 | Comment(0) | Trackback(0)
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