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鉄腕アトムとRobo-Oneの授業
先週から今週にかけて、Japanese Popular Cultureの担当教授が出張中なので、私が二回分の代打授業を担当。 一回目は、鉄腕アトムについてのレクチャーを頼まれ、二回目は日本のテクノロジー文化について。

まあ、僕はアトム世代ではないし、そんなに読み込んでいるわけでもないので、今回は自分なりの手塚論をまとめるいい機会となりました。 

特に驚いたのが、1970年代のインタビューで手塚治虫が既に「インターフェイス」という言葉を用いてアトムについて語っている点。 現在のヒューマノイドロボティクスのキーワードにもなっているわけですが、これを、単純に当時の手塚の洞察力の深さと取るべきか、それともエンジニアや研究者によってこのアイディアの意義が現代において再発見されたと理解すべきか。まあ、両方でしょうね。

授業の前半は、このインターフェイスをキーワードに、人間と機械との関係性が日本のポピュラーカルチャーにおいてどのように語られてきたのかということについて議論する。 そして、後半では、90年代後半から愛知万博にかけてのアトムブームと絡めて、実際の科学技術とイマジネーションとしてのSFの相互互換的な関係性について話す。 特にアトムが日本のロボティクスでどうやって神話化されていったのかという話。

そして、第二回目の日本のテクノロジー文化の授業のネタはもちろんRobo-One。

いくつか動画を見せましたが、トコトコ丸とAutomoが生徒の目を引いたみたいです。 ヴィジュアル的にキャラクター性が強いロボットは認知されやすいですね。 特に、外国だと両者が放つ日本の匂いのインパクトは強いのかな。

授業の切り口は、テクノロジーと男性性の問題。 例えば、男性と機械とのエモーショナルな関係性。または、機械と戯れる際の男性の快楽と情熱。 そして、その快楽が権力へとつながっていくプロセス。

なぜ、一部の男性は機械に深く惹かれてしまうのかという問いに応えるには、近代という時代の特殊性を丹念に解き明かさないといけないわけで、「なぜ」と問われて簡単に答えを出せるようなお手軽な問題ではないし、さらにここに「日本」という文脈が入ってくると、問題はより複雑になってしまいます。抽象的な授業になってしまったかなという反省点はありますが、生徒が動画を楽しんでくれたのでよしとしよう。 
  
授業の最後に、ある女性からこのような発言が。「ただ単に人間の動きを真似るだけのロボットに莫大な時間とお金を掛けるなんて、それは男性的な発想以外のなにものでもありません」。 その通りでしょう。 テクノロジーの発展は合理性だけに支配されているのではない。
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2009-02-27 04:42 | 未分類 | Comment(0) | Trackback(0)
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